2013年5月25日土曜日

僕らはいつも待ちぼうけ

今日はこれから練習なのだけれど、
久々に3人で入ります。


これからやる3本のライブの、特典を作りに簡単なデモを作成してくる。
それと、何曲か一人で録るつもり。どこかで披露します。



昨日と今日は前のブログにも書いた、そいつの葬式。
最後の挨拶には都合がつかず、どうしても行くことができなかった。
連絡をくれた人に、やっぱり行けないです、と言うのも違う気がした。

亡くなった人を忘れないこと、時々でもいいから思い出してあげることが弔いになると思ってる。

俺も、あいつとの思い出がそんなにあるわけじゃないし、探さないと見つからないような記憶しかないのだけれど、
この間一緒にライブしたばっかだったのに、何でだよっ!って気持ちをずっと覚えていようと決めた。



俺くらいの年齢でも、人とのこういう別れは幾つか経験してる。もしかしたら、人より若干多いかもしれない。

去年の10月にも、そんな事があった。
そいつの場合は、どうやら自分で命をたったらしい。
大事な企画の前日だった。聞いた時はショックだったけれど、正直次の日の企画の事で頭がいっぱいだった。そして企画当日は、他の事で気が回らずその事は頭になかった。


でも一夜明けて、よくわからない感情が頭と心のバランスを崩していた。
それを救ってくれたのは、熊谷にあるライブハウスの、熊谷にいる先輩バンドマンのライブだった。特別、なにかをやったわけじゃなく、普段通りのライブだった。でも優しかった。優しく見えた。


だから僕の記憶は、その訃報を聞いた時から、そのバンドのライブまででセットになってる。

その時の気持ちは絶対忘れないと思う。悲しんだって辛かったって、楽しい所に行きたいし、美味しいものだって食べたくなる。



皮肉にも僕ら残された人達っていうのは、そいつが嫌になってしまった、こういった日常の中から生きている事を
実感している気がする。


だから事が済めば、やれ飲み会だ、やれ飯食いにいこうだってなるのは普通なのかもしれないと、人生経験豊富な大人たちを見て思った。
なんとなくそれには馴染めずにいたのだけれど、そんな俺だって腹が減れば夕飯何にしようか、なんて悩んだりする。そんな事で悩めるくらいに、日常は裕福なんだって事、それでいいんだってことを教わった。
その気持ちは、常に持っていようと、topazをやると決めた時に、dinnerという歌にした。


暗いからあんまり歌ってないけど、サポートメンバーにも、色んな関係者にも、褒めてもらった曲だ。

それすらなんか、皮肉なもんですね。



最終的に宣伝になるあたりには、
僕も元気だし、裕福だってことを感じてる。






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