2016年4月27日水曜日

not

僕の(あなたの)本音なんて人に言う必要ないなって時々思う。
そんなのずるいなって時々思う。


「歌に出来ていいね」
「日々のストレスを発散できそうだね」
って昔言われたけど、歌で伝えなきゃいけないことがまた一つ増えたなって思ったよ。

口で言えば済むのにね。それじゃ悔しいからさ。


そんなことを人一倍思ってる仲間がいてね、そいつの歌を一曲カバーしようと思ってる。

今日はライブ。
大事な人と大事な日にしてきます。
好きな人の好きな人も好きです。





2016.04.27(wed)


下北沢BAR? CCO

 

「下北沢、風が吹く」


-原嶋卓哉 first e.p. "二十七歳"release tour-

 

open/start 19:30/20:00


前売/当日 1,800円/2,300円 (+1drink)

 

 

w/原嶋卓哉 / 太田哲宇 / 三輪卓也




2016年4月11日月曜日

親愛なる、まーくんへ

4/6(水)未明、大好きな親友の中野誠之が急性心不全のため29歳で亡くなりました。

なんか、周りから僕まで心配されてしまっておりますが、お気遣いなさらぬようにお願いします。




本当にさ、突然いなくなるから色んな人に報告しなくちゃいけなくてね、悲しい連絡を沢山してるよ。

自分の本音を言いだしたらキリがないし、気持ちに整理なんかつけてたまるかよ、
と感情のない定型文みたいな文章をひたすら繰り返し伝えているんだけど、

それでも口に出すたび、文字にするたび、涙が溢れてしまって困ってるよ。

みんな、急なことでまだ受け止めきれずにいるんだけどさ、
「突然すぎたのはこっちの台詞だよ笑!」って向こうで言ってそうだね、まーくんのことだから。





まーくん。彼の呼び名。
誰もそんな名前で呼んでなかった気がするんだけど、何故かそう呼んでました。

shepherdというバンドのボーカルをやっていて、親友だからとかの贔屓目なしでも大好きなバンドで、まーくん以外のメンバーとも親交があった。
僕のライブの大事なところではshepherdにもまーくんにも、いつも声をかけさせてもらっておりました。


繋がりは音楽だけじゃなくて、中学生のころからのクラスメイトで、これまでの29年間でも特に一緒に時間を過ごした親友でした。


中学3年のある日、19が大好きだったまーくんから借りた「音楽」というアルバムの歌詞カードに、たまたまギターコードが書いてあって「俺ギター弾けるんだぜ」と自慢げにポロンと弾いた後、「それ、どうやってやるの?」とキラキラした目で聞いてきたのがきっかけで、一緒にギター買いに行ったよな。


そこらへんから、2人とも歌うことの楽しさを知って、20歳を過ぎたくらいから、僕は熊谷で、まーくんは横浜でバンドを始めて、今でもお互い状況は違えど精一杯歌っております。


有言実行、人への気配り、いろんなことへのインプットとアウトプットetc...
誰よりも自分に厳しく、人に過敏で、絶対に自分のハードルを下げずに頑張っていたまーくんを見て、親友でもありながら、いつしかファンになっていました。


まーくんが作る曲が大好きで、
まーくんから勧められる音楽も大好きでした。
ずいぶん影響を与えてもらって、むしろ影響を受けすぎてしまっていた事も多々ありました。


僕がtopazを始めてからは、ほとんど毎月のようにどこかしらで会っては飲んで、他愛のない話から真面目な話まで繰り返し何度も朝まで話していました。
その分、人には見せないまーくんをたくさん見た気がするし、新たな一面をたくさん知った気がする。



酔っ払ってコンビニに買い出しに行った帰りに近所の公園ですっ転んだり、

東京ガスのCMが感動するんだよ、なんて言って涙流しながら見てたり、

泊まった次の日、勢いだけで祭りに行こうぜ!と対して近くもない神楽坂まで阿波踊り見に行って、ビール片手に一緒にはしゃいだり。

この間なんて、初めてケンカしたっけね。



実は今度出す「王様はハダカ」というアルバム、まーくんと一緒に歌う曲を用意していました。
音楽を続けられるうちに、どうしても一緒に歌ってる曲をレコーディングしたくて。

「最高のアルバムを作るから、その際にはぜひ協力してほしい、曲も歌詞も俺が書くので、一緒に歌ってほしい」

と、言いだしたのはもうずいぶん前。活動始めてすぐくらいだったかな

自分で納得する曲が書けるまで書き直して、やっとこれだ!ってものが出来て、ようやくレコーディングも始まりました。

「こんな感じの曲なんだけど、どうしよっか?」仮データを送り、やっと2人での作業が実現出来ると4/4に電話しました。

いつも通りの他愛ない会話と、そのレコーディングの打ち合わせと、4/12に代々木でスタジオに入ったのち、軽く飲みにでも行こうぜ、と話して電話を切ったのが、僕は最後の会話でした。


まーくんが亡くなった知らせを受けてからというもの、
もっと上手くスケジューリング出来ていれば、
もっと早くアルバムを出せていれば、
タラレバを繰り返しても意味がないかもしれないけれど、
それでも、まーくんの声を1曲でも多く残せたら良かったなと悔いが残るばかりです。

今改めて、その歌ってもらう予定だった曲を聴いています。

曲も歌詞も書いたのは1年前で、その時に見た桜を歌った曲なのですが、その歌詞が今ではまた違った意味に聞こえてきて、なんだか不思議なものだなと思うと同時に、責任もって仕上げるからな、と強く思いました。

まーくんの歌うコーラスパート、どうアレンジしてたのかくらいは確認したかったな。
やっぱり俺、君と違って詰めが甘いんだよな。


shepherdのドラム、日下部さんとも電話できました。
これからの僕の活動の中で、彼の歌を僕も歌っていきたいと告げました。

「井田くん、歌ってよ!」
と力強いお言葉ももらえました。近々会いたい人が沢山いるけれど、その時にはまた、色んな話が出来たらいいな。



まーくん、
俺さ、声量だけは自信があるからさ、
空の上のまーくんに届くようにこれから歌うよ。
今のままじゃ、ちょっと届かないから、自分の人生かけてこれから歌ってみるからさ、どうか見守っててね。
そっちではもっと自由に、好きな歌が沢山歌えてるといいね。またいつか。




これしか残ってねぇや。写真。今度実家帰ったら見つけておくね。



最後に、歌詞を載せておきます。
たくさんの人に聞いてもらえるように頑張るからな。

オーダーメイド

遅ればせながら ちょうど今
できるだけ理解した
僕らが交わす 言葉にだって
おめかしをしたっていいんだと

さっきの公園の桜がキレイで
照れるような 台詞を思い付いたんだ

今を嘆くより 幸せなこと
いつも思い出せるように
花が咲いたこと それが散ること
良かったことだけ しまっておけよ
そうだろう?

待ち合わせだって 帰り道だって
思い出に変えてみせるから

遠くの空に虹が架かるような
日々の魔法を 君には贈るから

筆の行く先は せめて何より
愛しいもので綴られて欲しい

口先ばかりの歌だって
君が笑うなら 何度だって

今を嘆くよりも 幸せだったと
言わせるような僕でいるから
花が咲いたこと それが散ること
良かったことだけ しまっておけよ

どうか最後には...


topaz
井田祐也より